Maydo Journal #013

「地方で仕事をする“自由”と“責任”について。」

地方都市、豊岡で働いていて感じる、自由と責任の“重なり合うポイント”。誰かに縛られないからこそ、自分で決める力が問われる

——その実感を書いてみました。

みなさん、こんにちは。ブランディングカンパニーMaydoの森下です。僕の記事を初めて見ていただいた方は、ぜひ自己紹介ページもご覧になってください!

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地方で働くようになって、一番よく聞かれる質問がある。
「地方のほうが自由ですか?」というものだ。

たしかに、自由だと思う。
時間の使い方も、働き方も、人との距離感も。
“都会の基準”から少し離れるだけで、呼吸が深くなる瞬間がある。

でも同時に、自由と同じくらい——いや、それ以上に“責任”がのしかかる。そのバランスが、この数年でようやく腑に落ちてきた。

目次

  1. 地方では「誰かがやるだろう」が通用しない。
  2. 必要なのは、完璧さよりも「誠意の速度」。
  3. やりたくて選んだ「自由」か。やらなくて済むための「自由」か。
  4. 自由と責任は、背中合わせじゃなく、重なり合っている。
  5. 自由に働くことは、覚悟を持つことでもある。

地方では「誰かがやるだろう」が通用しない。

都会にいた頃、気づかないうちに
「誰かがやってくれるだろう」という感覚に甘えていた。
役割分担が細かく、専門性が分断され、
自分の“線引き”が自然とできてしまう環境。

でも豊岡では、その境界線は驚くほど薄い。
小さな街だからこそ、
“やる人がいなければ、物事は動かない”という現実がある。

だから、自由と同時に「自分がやらなければ」という責任が生まれる。
自由だから楽、というわけじゃない。
むしろ、自由だからこそ逃げられない。


必要なのは、完璧さよりも「誠意の速度」。

地方で仕事をしていると、
結果の前に“姿勢”を見られることが多い気がする。

どれだけ立派なスキルを持っていても、
どれだけ良い企画を書いても、
その街の人たちと同じ地平で、同じ温度で向き合えるかどうか。

特に感じるのは、誠意の速度だ。

早くやるかどうかではなく、
「どれだけ心を込めてすぐ動くか」という質の早さ。
レスの一つ、現場への顔出し一つで、信頼は驚くほど変わる。

都会での“効率”とは違う、
地方の“速度感”がそこにはある。


やりたくて選んだ「自由」か。やらなくて済むための「自由」か。

自由の使い方には、大きな差がある。

  • やりたいことを形にするための自由
  • 責任から距離を置くための自由

同じ「自由」という言葉でも、その意味は大きく違う。

地方で仕事をしていると、
後者の自由はすぐに見透かされる。
小さなコミュニティでは、誤魔化しがきかない。
誰が本気で、誰が逃げているか。
その違いが、驚くほどはっきりと現れる。

だからこそ、前者の自由をどう使うかが問われる。
“自分の意思で選び、自分の意思で決める”という自由の使い方だ。


自由と責任は、背中合わせじゃなく、重なり合っている。

豊岡に来てみて気づいたのは、
自由と責任は別々に存在しているわけではないということ。

責任があるからこそ、自由が活きる。
自由があるからこそ、責任が生まれる。
それは背中合わせではなく、むしろ重なり合っていて、
その重なる部分が、人の“らしさ”になる。

地方で働く面白さは、たぶんその“重なり”の部分にある。

誰かに決められた仕事ではなく、
自分で選び、動き、形にしていく。
そのプロセスの中で、自分の仕事の軸が育っていく。


自由に働くことは、覚悟を持つことでもある。

自由な働き方を望む人は多いけれど、
自由には覚悟が必要だと思う。

やるべきことを自分で決める。
誰に頼られたいのかを自分で選ぶ。
そして、自分が動かなければ何も変わらないという現実を背負う。

その覚悟のある自由は、心地よい。
地方で働く今、日々そのことを感じている。

自由と責任。
どちらかではなく、どちらも持って生きていくこと。
そのバランスが、人の仕事を美しくする。

あなたにとって、“自由に働く”とはどんなことですか?

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