未完成で、不完璧なほど、人は挑戦的でいられる。
最近、改めてそう感じている。
きっかけは、アダム・グラントの『HIDDEN POTENTIAL』を読んだことだった。
能力や才能よりも、「伸び続ける人の条件」に焦点を当てた一冊だ。
読み進めるうちに、ある問いが何度も頭に浮かんだ。
完璧主義とは、一体なんなのだろうか。
そして、自分はなぜ、今も好奇心を失わず、挑戦し続けられているのだろうか。
みなさん、こんにちは。ブランディングカンパニーMaydoの森下です。僕の記事を初めて見ていただいた方は、ぜひ自己紹介ページもご覧になってください!
https://note.com/embed/notes/n44dd574f49ba
目次
- ■ 完璧主義は、向上心ではなく「恐れ」から生まれることがある
- ■ 成長している人ほど「未完成」でいる時間が長い
- ■ なぜ僕は、今も挑戦できているのか
- ■ 好奇心は、「余白」からしか生まれない
- ■ 完璧であろうとするより、挑戦的でありたい
- ■ 未完成なまま、今日も動いてみる
■ 完璧主義は、向上心ではなく「恐れ」から生まれることがある
一般的に、完璧主義は美徳のように語られる。
妥協しない。クオリティを追求する。最後までやり切る。
もちろん、それ自体は悪いことではない。
でも、『HIDDEN POTENTIAL』を読みながら気づいたのは、
完璧主義の正体が、必ずしも「向上心」だけではないということだ。
失敗したくない。
評価を落としたくない。
無能だと思われたくない。
こうした恐れが、
「完璧であろうとする姿勢」に姿を変えている場合がある。
その結果、どうなるか。
・動き出しが遅くなる
・準備に時間をかけすぎる
・挑戦のハードルが上がる
・失敗しそうなことは避ける
気づけば、挑戦そのものを遠ざけてしまう。
■ 成長している人ほど「未完成」でいる時間が長い
本の中で印象的だったのは、
成果を出している人ほど「最初からうまくやろうとしない」という点だ。
彼らは、
・未熟なまま始める
・恥をかきながら修正する
・失敗を前提に動く
・途中で学び、更新し続ける
完成度よりも、更新頻度を重視している。
つまり、
成長している人は、
「完成していない自分」を許容できる人でもある。
未完成であることを、
欠陥ではなく、余白として扱っている。
この感覚は、今の自分の働き方とも重なった。
■ なぜ僕は、今も挑戦できているのか
豊岡に来て約6年。
仕事の環境も、人との距離も、大きく変わった。
地方では、誤魔化しがきかない。
同時に、完璧である必要もない。
むしろ、
「やりながら考える」
「未完成でも一歩踏み出す」
「小さく試して、修正する」
そんな姿勢の方が、信頼される。
この環境が、
自分の中の完璧主義を、少しずつ手放させてくれた。
そもそも完璧主義でもないとは思っているが、、、
完璧に準備してから動くより、
未完成でも、誠意をもって動く。
すると、不思議なことに、
好奇心が戻ってくる。
「うまくやれるか」よりも、
「どう転ぶかを見てみたい」
という感覚が勝ってくる。
■ 好奇心は、「余白」からしか生まれない
完璧を目指していると、余白がなくなる。
正解を探し、
失敗を避け、
評価を気にし続ける。
そこには、遊びも、寄り道も、試行錯誤も入り込む余地がない。
でも、未完成でいることを許すと、
思考に余白が生まれる。
・別のやり方を試してみる
・違う人と組んでみる
・まだ言語化できていない感覚を大事にする
この余白こそが、好奇心の居場所だ。
『HIDDEN POTENTIAL』が伝えていたのは、
才能よりも、未完成でいられる勇気の方が重要だということだったように思う。
■ 完璧であろうとするより、挑戦的でありたい
完璧主義を完全に捨てる必要はない。
クオリティへのこだわりも、責任感も、大切だ。
でもそれ以上に、
挑戦し続けられる状態でいることの方が、
長い目で見れば、価値がある。
未完成で、不完璧で、まだ途中。
だからこそ、次の一歩がある。
今の自分が、
まだ整いきっていないことを、
どこかで少し肯定できているから、
好奇心が消えずにいるのかもしれない。
■ 未完成なまま、今日も動いてみる
完璧に準備が整う日は、たぶん来ない。
だから、未完成なままでも、動く。
挑戦とは、
自信があるからするものではなく、
余白があるから続けられるものなのだと思う。
あなたは今、
完璧であろうとしていますか。
それとも、未完成のまま、挑戦し続けていますか。


コメントを残す